屈伸

今を大切に生きたいオタク

20181024


10/24。

あなたにとって今日はなんの日ですか。

わたしにとっての今日は、昨日とも明日とも決定的にちがう、今日だけの日です。
そしてもしかしたらそれは彼女にとっても、いくぶんか同じ思いの重なった日であるかもしれません。
 
 

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クリスタル。本名チョンスジョン。
 
きょうは彼女とわたしがそろって、生まれてはじめて24歳を迎えた日。
 
 

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20161102

わたしがクリスタルの存在を知ったのは、2016年11月、知り合いにf(x)のdimension4アンコンへ連れていってもらったことがきっかけだった。
それまで韓国アイドルというものに興味をもったことがなかったわたしは、コンサートのために推しの名前入りうちわやペンラを手に入れるという発想がなく、近視のくせにコンタクトすら入れずに、丸腰のまま横浜アリーナへ向かった。2階席で座っているとあたりが暗くなり、そこらじゅうで悲鳴のような歓声が上がる。会場のあちこちで名前を叫ばれながら、f(x)はわたしの前に姿を現し、そこに彼女もいた。グループのトレードカラーである紫をはじめ、さまざまな色のライトに照らされながらステージで歌い踊る彼女をはじめて見たとき、スクリーンに映し出された涼しげで余裕っぽい表情と、鋭い光を放つ凛とした瞳に強く惹きつけられたのを憶えている。
 
 

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わたしは程なくして別のメンバーによりのめり込んでいったが、f(x)に関してはほとんど箱推しみたいなものだったから、ドラマの撮影やモデル活動に勤しむクリスタルの動向をずっと追っていた。そのたびにあの表情と瞳に自然と目を釘づけにされた。彼女は一見するとクールで女王様気質で気が強そうで……みたいなかんじだけれど、決してそれだけではなくて、笑うと澄ました顔がくしゃっとなってかわいい。たとえば家族、友人--親しい誰かと一緒に過ごすような、より彼女らしい、自然体でいるときに見せるのがこっちの顔なのかな、と思う。さながらアンドロイドのように整った外見と、その完璧なバランスの美貌がほどける瞬間の、ぶっきらぼうで照れくさそうで、でもやっぱり嬉しそうにのどを鳴らして甘える猫みたいなふるまい。その振れ幅の大きさが彼女そのものの、またあらゆる被写体としての魅力なのだろう。映しだされたどの瞬間もカットできない、つねに他人の心を掴んで離さない彼女は、陳腐な表現になってしまうのが惜しいけれど、なんとうつくしい人だろうかと思う。
 
 

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クリスタルが自分と同じ誕生日だというのを知ったときはちょっと衝撃だった。ちなみに生まれ年まで一緒だ。国籍、見た目、歩んできた人生……誕生日のほかは何もかもが違って生きてきたわたしたちは、24年前の今日、たしかにこの世に生まれ落ちた。その事実はわたしの彼女に対する「ある時期にたまたま出会ってすきになった韓国アイドル」という認識を変えて、まるでこの邂逅が偶然だけど偶然じゃないみたいに、彼女への感じ方をすこしだけ特別にしてくれた。
この意識しようは他人から見ればまあ、だいぶ気持ち悪いとおもう。我ながらちょっと行きすぎていると思わなくもない。けれどこう、生年月日という誰にもコントロールできないものがかぶるってなにか超越的な、神秘的なものを感じないですか。これを読んでいる人は全然そんなことないんでしょうか。わたしがただ重い女なだけですか。
 
 

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これを読んでいる人に引かれてしまうとしても、毎年同じ月の同じ日に同じ歳をクリスタルと重ねていけることを思うとわたしはやっぱりうれしくて、ちょっぴり誇らしい気持ちにさえなってしまう。
彼女と出会ったときわたしは22歳で、それから2年の月日が経とうとしているけれど、当時よりもまたすこし時間のすぎるのが早くなったように感じる。わたしより長く生きている人たちの多くが口をそろえて言うように、このサイクルはこれからさらに速度を増していくのだろう。いまこの瞬間永遠かのごとく思える日々の繰り返しは、いつか必ず終わりを迎える。これに似た感覚を彼女がおぼえるとしたら、その度合いはきっとわたしよりも強いのではないか。若さとそれに伴う外見的美しさがある程度の指標として存在し、それに否が応でも敏感にならざるを得ない業界で果敢にも生き抜こうとする彼女のほうが、ずっと。
 
 

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20180930

クリスタルという人がふだん何を感じ考えているのか、知る機会はあまり多くない。
たとえば同じf(x)のアンバーみたいに自分自身でクリエイトする人であれば、リリースされる曲をもってその考えや想いを窺い知ることができるだろう。でもクリスタルは自作ドルではないし、女優やモデル活動を得意とするように、どちらかといえば他者から与えられた世界観の中で生きるタイプの表現者だ。
 
(クリスタルの被写体としての魅力が如何なく発揮された曲。一種の映像作品とも言えそう)
 
 
SNSの使いかたにしてもそうだ。たとえばインスタで近況を伝えるとき、同じf(x)のルナはファンに向けた言葉を数行にわたって書いてくれたりするけれど、クリスタルはたいてい写真オンリーか、あってひと言、二言で終わらせていることがよくある。言葉少ななのはそもそも寡黙な性格なのか、不用意な発言を控えようとする芸能人的スタンスからか、あるいは無意識か。
 
 

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特別なトーク企画かなにかがなければ彼女自身の言葉を聞くことは難しいのだろうと思っていた。そのさなか、先月末に「人生酒場」が放送された。
この番組でクリスタルは自身の第一印象について話している。Kstyleによれば彼女の言葉はこうだ。
 
「(冷たいイメージがあるために)幼い時はストレスを受けた。15歳の時にデビューしたので、悪質な書き込みもあったし、悪口もたくさん言われた」

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他人の視線からくる悩みについて、彼女はかつても語ったことがあった。
2013年放送の「アメージングf(x)」。この番組は、f(x)がニュージーランドへいき、各メンバーの「死ぬまでにやってみたいことリスト」を実行してその願望を叶えましょう、という趣旨のものである。そこで彼女は自身の切実な感覚を告白した。
 
「人の多い場所が好きじゃないです。人々がわたしを見る、その視線が本当に心地よくなくて」

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「わたしは芸能人です。人々から見られることに慣れて楽しむべきだけど、自分にはそれができないと思っていました。だからスカイダイビングをしてそういうものを振り払いたい気持ちがありました」

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彼女の「やってみたいこと」、スカイダイビング。
自分で考えて選択したこととはいえ、彼女は最初とてもこわがった。それもそうだ。アクティビティ前に「わたしはこれに取り組むことでたとえ死んだとしても構いません」という旨の文章の末尾に署名し(!)、高度12000フィートもの超ド級高所からジャンプするなんてことは、ガイドがそばについてくれているのが前提であるにしても決して簡単なことではないだろう。彼女は移動中のバス内で「スカイダイビングするのを考え直す方がいいと思う」と冗談めかして言ったり、「わたしにはきっとできないと思う」と後ろ向きな心情を告白したりしていた。だが彼女は最終的に決断し、ニュージーランドの大空へ飛びだした。風を浴び、空中飛行を楽しむ彼女はきらきらと弾けるような笑顔をつくっていて、パラシュートで地上に降り立ったあとにはこう言った。「That was fun!」このとき、彼女は己の恐怖心をたしかに乗り越えた。
 

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クリスタルのスカイダイビングチャレンジは大成功を収めたわけだけれど、正直なところ、それでたちどころに他人の視線が気にならなくなるかというと確実なものはなさそうだと思う。ニュージーランドから帰国したあと、彼女はやはり人々の視線に苦しんだかもしれない。
だが2018年のクリスタルはこんなふうに言葉を次いでいる。
 
「今は気にしないようにすることにした。インターネットもやらないし、悪口も見ない(Kstyleより)
 
その超然とした佇まいは彼女がかつて苦しんだ自身の印象と相まって、そのうつくしさをさらに引き上げているみたいだった。たったひとりで考えつづけ、その間に決断・実行し、数年の月日を経た末に悩みを克服した彼女に対し、尊敬の念を抱かずにはいられない。

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20181024

 すべてのものは在るかぎり絶えず変化しつづけ、同じ場所にとどまりつづけることはない。クリスタルがかつての悩みを克服したように。彼女はむかし「老いていく姿を見せたくない。綺麗なままで記憶に残りたい」と言ったこともあったそうだ。でも、その言葉さえもしかしするといまの彼女からは違ったかたちで生まれ出てくるかもしれない。その変わりようを知るすべはいまのところわたしにはないけれど、それが彼女にとって苦しくないかたちをしていればいいな、とせめて思う。そして、ひとつわがままを言わせてもらえるならば、彼女の言う「引退」の日がまだずうっと先であればいいな、とも思う。
 
19941024の8桁の不思議な縁でクリスタルと繋いでもらったことは、24歳のわたしの唯一無二のたからものだ。
この先韓国の音楽を聴かなくなり、誕生日に彼女のことを思い出しもしなくなる日が来たとしても、いまこの瞬間、わたしは絶対に憶えておきたかった。
その気持ちを残しておきたくて書きはじめたのだけれど、ずいぶんまとまりなく長くなってしまったから、いいかげんこの辺りで終えようと思う。
 
最後にもう一度だけ、
 
誕生日おめでとう、すてきな人。
わたしたち強く生きていこうね、
 
だいすきです。

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